「決算書のドラフトも、申告書のチェックも、業務の一部をAIに任せられる場面が増えてきました。そうなったとき、うちの事務所の付加価値はどこに置けばよいでしょうか」。同じ問いが、税理士に限らず社労士・行政書士・司法書士・弁護士の事務所でも共通して挙がります。共通しているのは、定型的・反復的な事務作業のうちAIが手伝える部分が広がってきているという肌感覚と、そのなかで自所の差別化要因が見えにくくなっている、という感覚のようです。
「AIを導入しました」 と打ち出す事務所が増えていますが、ツール自体は誰でも契約できますし、汎用モデルは数か月単位で性能が更新されていきます。 半年後には同じことを言う事務所が並ぶ場面も出てきそうです。 そう考えると、差別化の核はAIそのものではなく、業務側にあるのかもしれません。 本稿では、業務にAIが入ってきている士業事務所で、専門ニッチ・顧問先深耕・運用設計という3つの動きを、業務の流れに沿って見ていきます。
似た事務所と並びやすい業務、 並びにくい業務
業務のうち、 汎用AIに手伝ってもらいやすい部分は、 おおよそ似た顔触れになっています。 ここを 「自所の強み」 として打ち出すと、 同じ打ち出しをする事務所と近い将来に並んでしまう場面も出てきます。
- 定型書類の初稿作成 (= 申告書・登記申請書・契約書のひな形ベースの一次案)
- 議事録・ヒアリング録の整形 (= 音声認識と要約による議事録の一次案)
- 判例・通達・公開資料の検索と要約 (= 公開情報をベースにした調査の一次整理)
- メール・問い合わせの一次返信案 (= FAQレベルの問い合わせへの返答ドラフト)
- 入力・転記作業 (= 紙帳票やPDFからの構造化データ抽出)
これらは 「ゼロから一を作る」 工程で、 業務の一部にAIを入れやすい部分です。 最終的な責任は士業の方ご本人にあるため、 レビュー・差し戻し・承認の流れは引き続き必要になります。 「一次案をAIに手伝ってもらう → 専門家が確認する」 という流れ自体は、 数年単位で業界の標準的な進め方になっていきそうです。
一方で、 業務の一部にAIを入れにくい部分もあります。 差別化を考えるときには、 こちらの言語化のほうが効いてきます。
- 顧問先の事業文脈の理解 (= 業種・取引慣行・経営者の意思決定スタイル・キーパーソンの暗黙知)
- 複数論点の優先順位付け (= 税務・労務・法務が絡む案件で、 何を先に潰すかという判断)
- 当局・先方との折衝 (= 税務調査・労使紛争・許認可申請の現場でのやり取り)
- 守秘義務・利益相反・職業上の判断 (= 業法と職務規範に踏み込む領域)
- 業務フローの再設計 (= 業務にAIを含む新しい道具を組み込む設計)
このあたりは、 過去の蓄積と現場での判断が組み合わさる場面で、 汎用モデルだけで再現するのが難しい部分のようです。 差別化の核は、 こちら側に置くのが自然な流れです。
差別化を支える3つの動き
業務の動き方を見ていくと、 専門ニッチ・顧問先深耕・運用設計という3つの動きが、 掛け算で効いてくる場面が多いように感じます。1つだけでは弱く、3つが噛み合うと、 似た事務所と並びにくくなります。
| 動き | 業務の中で蓄積されるもの | 似た事務所と並びにくくなる理由 |
|---|---|---|
| 専門ニッチ | 業種・論点・フェーズに固有の書式と判断基準 | 学習データに乗りにくい固有知識が貯まっていくため |
| 顧問先深耕 | 業務カレンダー・キーパーソン・指摘履歴 | 長期の関係資本と暗黙知が必要になるため |
| 運用設計 | 業務フロー・権限・ログの設計 | ツール契約とは別の層の設計が必要になるため |
業種や論点を絞り込む
「総合○○事務所」 という打ち出し方は、 業務の一部にAIを入れやすい一般的な領域での競争に巻き込まれやすい場面が出てきます。 業種や論点を絞り込んでいる事務所では、 学習データに乗りにくい固有知識が業務の中で貯まっていくようです。
- 業種で絞る場面 (= 医療法人・建設業・SaaS・農業法人・社会福祉法人 など)
- 論点で絞る場面 (= 事業承継・組み換え・国際税務・補助金・労使紛争・許認可スキーム など)
- フェーズで絞る場面 (= 創業期・IPO準備・M&A局面・事業再生 など)
絞り込んだ領域で使う書式・判断基準・過去案件を、 業務の中で意識的に貯めていく動きが見られます。 この蓄積は、 後で運用設計の入力データにもなっていきます。
顧問先を深く知る
スポット案件中心の事務所では、 顧問先の事業文脈が業務の中に貯まりにくい場面があります。 長期で組む顧問先を増やして深く知っていく動きを取っている事務所では、 関係資本のような形のものが業務の中に貯まっていくようです。
- 顧問先の業務カレンダー (= 決算月・繁忙期・申告期限) を把握している
- 顧問先のキーパーソン (= 経理担当・人事担当・顧問弁護士) と直接話せる関係がある
- 過去の議事録・指摘事項・改善履歴が、 後から追える形で残っている
このあたりが揃っていると、 後述の運用設計で 「事務所内の検索を組む」 「過去案件を踏まえた一次案を作る」 といった選択肢が現実的になります。 逆に、 データが散らばっていると、 業務にAIを入れても効きにくい場面が出てきます。
業務にAIを組み込む設計を持つ
ツールを契約しただけでは、 業務の中にAIは定着しにくい場面があります。 「どの業務に・どの粒度で・誰が確認して・どこに記録を残すか」 を業務の流れに沿って設計できると、 差別化の3つ目の動きにつながります。
- 業務フローのどこにAIを入れるかの切り分け
- 入力してよい情報・してはいけない情報の線引き
- 一次案の確認担当者・承認の流れの設計
- 操作記録・監査記録を残す仕組み
- スタッフへのオンボーディング設計
この設計は、 ツール契約とは別の層の話になります。 事務所内に専任の方を置く事務所もあれば、 外部の伴走支援を入れる事務所もあって、 規模と段階によって取り方が変わってくる場面のようです。
顧問先や採用に伝わる形にする
3つの動きを、 顧問先や採用候補の方に伝わる形にしていく工夫もあります。
- 専門ニッチを明文化する (= Webサイト・営業資料で 「○○業に対応しています」 「○○論点を中心に扱っています」 と書く。 対応していない領域は対応していないと書く事務所もあります)
- 顧問先向けの定例レポートを設計する (= 月次・四半期で、 集計をAIに手伝ってもらった部分と、 専門家のコメントを並べた形にする。 短くなった作業時間を、 顧問先への提案密度に回す動きを取っている事務所もあります)
- AIを業務に使うときの運用ルールを文書化する (= 守秘義務・入力データの範囲・記録の取り方を、 顧問先が確認できる形に整える)
- 過去案件のナレッジ化を進める (= 判例・通達・所内マニュアル・過去議事録を、 後から検索できる形に整えていく)
- 採用・教育を専門ニッチに寄せる (= 汎用人材ではなく、 絞った領域で深く動ける方を採る・育てる動き)
このあたりは一度に揃えるのは難しい場面が多いようです。 業務にAIを入れる前に、 「3つの動きのどこから着手するか」 を決めるところから始めると、 順序が組み立てやすくなります。
守秘義務・個人情報の論点を業務に置いておく
業務にAIを組み込むときに、 隣で動いてくる論点があります。 便利さの裏側で、 業法や職業倫理にかかる場面が出てくるためです。
弁護士法・税理士法・社労士法・行政書士法は、 いずれも守秘義務を置いています。 顧問先の固有情報を生成AIに入力する場面では、 入力する情報の範囲・保存期間・第三者提供の有無を、 契約レベルで確認しておく流れが取られています。 個人情報保護委員会は2023年6月2日付で 「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」 を公表していて、 個人情報を含むプロンプトを入力する場合の留意点を示しています。 要旨を抜粋しておきます。
- 個人情報を含むプロンプトを入力する場合、 特定された利用目的の達成に必要な範囲内かを十分に確認すること
- あらかじめ本人の同意を得ることなく、 応答結果の出力以外の目的 (= 機械学習等) で個人データが取り扱われる場合、 個人情報保護法違反となる可能性があること
- 提供事業者が個人データを機械学習に利用しないこと等を十分に確認すること
- 一般利用者向けにも、 応答結果に不正確な内容が含まれるリスクを踏まえて適切に判断するよう留意点を示していること
業務の流れの中で見ておきたい場面を並べておきます。
- 権限の設計 (= 誰がどの顧問先のデータにアクセスできるか、AI経由でもアクセス制御が効いているか)
- 操作記録 (= プロンプト・生成結果・承認者の記録が、 後から追える形で残っているか)
- モデル提供事業者との契約 (= API経由のデータが学習に使われない契約になっているか)
- 最終確認の責任 (= 一次案をそのまま顧問先に渡す流れにせず、 確認を業務の流れに置いているか)
「便利だから使い始めた」 場面の直後に、 これらを業務の流れに沿って一度見ておく順序を取っている事務所が多いようです。 業務を完全自動化する道具というよりは、 専門家の判断を業務の中で支える道具として位置付けておくと、 後で困りやすい経路が減ります。
経産省・総務省 「AI事業者ガイドライン」 でも、 業務でAIを利用する事業者に対し、 人間の関与・透明性・アカウンタビリティの方向で整理が進められています。 最新版の文言・適用範囲は、 所属会・顧問弁護士・公式サイトの最新版でご確認ください。
事務所内で動かせる範囲と、 外部に頼ったほうがよい範囲
事務所内で動かせる範囲もいくつかあります。
- 個人情報・守秘情報を含まない題材で、 業務の一部にAIを試してみる場面 (= 公開資料の要約、 所内勉強会の議事録整形 など)
- 自所の専門ニッチを、 所長・幹部の方々で言語化する場面
- 顧問先カルテ (= 業種・キーパーソン・繁忙期・過去論点) の項目設計を組む場面
- スタッフ間で 「AIに入れてよい情報・入れないほうがよい情報」 のラフな線引きを共有する場面
- 業務フローのうち、 詰まりやすい場所を言語化する場面
一方で、 外部の支援を入れて設計したほうが落ち着きやすい範囲もあります。
- 顧問先データを所内検索で参照できるようにする設計 (= 権限・暗号化・保存期間)
- 会計SaaSや法務系SaaSとのAPI連携と例外処理
- 個人情報保護法・士業ごとの業法を踏まえた運用ルールの文書化
- 操作記録・監査記録を残す仕組みと、 内部統制への組み込み
- 業務に組み込んだ後の指標モニタリングと改善サイクルの設計
- スタッフへのオンボーディング・トレーニング設計
このあたりの境界は、 事務所の規模・顧問先の業種・スタッフのITリテラシーで動きます。 絶対の線引きではなく、 自所の状況に合わせて引き直していく形になります。
自所に当てはめるときの順序
差別化の議論を抽象論で止めないために、 業務に持ち込みやすい順序の例をご紹介します。
最初に、3つの動きのうち最も弱いものを1つだけ選びます。 「専門ニッチが薄い」 「顧問先データが散らばっている」 「AIを業務に組み込む設計の担当がいない」 のどれかを、 所長と幹部の方々で言語化する場面です。 同時に手を入れようとすると、 どれも進まない場面が出てきます。
次に、 選んだ動きについて 「半年後にどんな状態になっていればよいか」 を文書化します。 たとえば 「医療法人の判断基準を30件、 後から検索できる形に貯める」 「主要顧問先10社の業務カレンダー・キーパーソン・過去論点を1枚にまとめる」 「AIを業務に使うときの運用ルールv1を所内で動かし始める」 のように、 具体的な状態として書きます。
最後に、 その状態に到達するための工程を月次に割っていきます。 業務にAIを組み込む工程は、 このうちの1ステップにすぎません。 ツール選定から入る順序を取ると、 差別化の軸が見えないまま導入だけが進む場面が出てきます。 差別化はツール選定ではなく、 業務側の3つの動きの組み立て方で決まってくる、 という見方もできます。
業務にAIが入ってきている場面では、 「業務側を組み立て直してから、 そこにAIを入れる場所を決める」 という順序のほうが、 自所の動きとして長く効いてくるようです。
参考
- 個人情報保護委員会 「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」 (令和5年6月2日): https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/
- 経済産業省・総務省 「AI事業者ガイドライン」 関連ページ: https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/ai_network/02ryutsu20_04000019.html